TOLAC(既往帝王切開後妊娠の経腟分娩トライアル)中止に関して
はじめに
近年日本の帝王切開率は上昇し20%とも報告され、過去に帝王切開を受けた妊婦さんを既往帝王切開後妊娠といいます。そして、既往帝王切開後妊娠の妊婦さんが、経腟分娩にトライすることをTOLAC(以前はVBACとも)と言います。ちなみに、現在はTOLAC成功した場合をVBACと言います。ですが、全国的にそして当院が緊急時搬送をお願いする大学病院や高次医療機関でも、通常は予定帝王切開です。TOLAC自体に特殊な医療技術は必要ありません。むしろ陣痛促進剤や吸引分娩などの一般的な医療技術は通常経腟分娩時よりも制限されます。
しかし高次医療機関でも予定帝王切開になる最大理由は、TOLACの1/100〜1/200(1〜0.5%)に発生し、予測困難かつ母児の全てを無にしかねない子宮破裂という超緊急事態発生時に迅速に大量輸血や子宮摘出も含めた高度な手術体制と母体と新生児の高度救急救命レベルの体制が整えることが困難だからです。
今の日本では高次医療機関でも海外推奨レベルの15分以内での帝王切開と超緊急体制完備は時に困難であり、ましてクリニックの当院では海外の推奨体制はもちろん日本産婦人科学会で推奨される30分以内での超緊急医療体制も難しいことは事実です。このこともこれまで外来で正直に話していました。このように全て正直にお示しすることが、当院のめざす人と人のつながりの医療の根幹となる正直な医療と考えています。
当院の既往帝王切開後妊娠の分娩方法について
- 既往帝王切開後分娩1035例の転帰
分娩方法 転帰(結果) 予定
帝王切開512
(49.5%)生児
(健常児)512 TOLAC 523
(50.5%)経膣分娩
成功506
(96.7%)緊急
帝王切開17
(3.3%)子宮破裂 5
(0.96%)生児
(健常児)520 重度
新生児仮死3
旧クリニック時代からの当院の既往帝王切開後妊娠1035例について上の表にまとめます。予定帝王切開は512例、TOLACは523例(50.5%)です。17例で緊急帝王切開(すなわちTOLAC失敗)になり、506例で経膣分娩成功(VBAC)しました。最重篤な合併症の子宮破裂は5例(0.96%)に発生しました。発生5例のうち児娩出前発生3例の児は、重度新生児仮死のため当院では対処困難で全例高次施設搬送となりました。また新生児だけでなく母体も子宮破裂は時に救命レベルにまで重篤となります。実際、当院でTOLAC時以外に発生した子宮破裂では院内対応が困難であり、大阪大学特別救命救急センターに超緊急搬送の末に救命していただいたこともありました。それ以外にもTOLAC症例には産後弛緩出血や輸血症例などを多く認めました。
TOLAC成功率について
当院1施設の少数例では成功率が高いのは当然です。海外の大規模報告ではTOLACの成功率は60%〜80%と報告されています。その成功率は、母体年齢や肥満度・経腟分娩歴・前回帝王切開の理由(子宮口が開かなかったなどの場合は60%程度に低下)に左右されます。
TOLACのデメリットについて
TOLACにもメリットはありますが、それを上回るかもしれない大きなデメリットがあります。
それが最重篤な合併症である子宮破裂です。子宮破裂はTOLACの1%〜0.5%に発生するとされますが、事前予測は難しく、十分注意していても完全に発症予防はできません。また当院の成績にもありましたが成功後の分娩後に発生することもあります。結果、TOLACの子宮破裂は予定帝王切開(手術予定前の妊娠中子宮破裂があるためです)の約2倍*1とされています。そして子宮破裂は、母体の輸血リスクや子宮摘出リスクの上昇だけでなく、母体生命の危険も高まります。また児は、子宮破裂の多くがTOLAC中の発症であり、重度仮死は避けることができず低酸素脳症や死亡に至る可能性もあります。当院の分娩時発生3例でも全例、重度新生児仮死で高次医療機関に搬送されました。結果、TOLAC全体では新生児仮死は2.2%、死亡率は0.5〜0.6%と報告*1されています。ちなみに、先日ユニセフが発表した日本の2017年新生児死亡率は世界1位で0.09%です。つまり、死亡率は7倍にもなります。数字の単純比較は難しいですが、初産婦帝王切開の最多理由は骨盤位(逆子)ですが、平成初期までは多くは経腟分娩でした。しかし現在は、高次施設でも、当院でも選択帝王切開であるのは、初産婦が骨盤位経腟分娩する場合の約1%に発生するとされる新生児重度仮死や死亡を回避するためです。子宮破裂の発生率はもとより新生児仮死や死亡率の数字を参考値と比較していただきたいと思います。
*1:産婦人科診療ガイドライン・産科編 2014(日本産科婦人科学会)
TOLACの中止について
当院は、チーム医療による良質医療の提供を大切にしています。ですが、土・日・休日など主治医不在時(主治医に事前にご確認ください)、当直医単独で、TOLACでの予測不能な子宮破裂発生での超緊急事態対応とその間の通常分娩への対応は確実に不可能です。TOLACも通常分娩と同じく、都合よく土日休日や深夜だけを避けることはできません。そこで2019年10月までに各主治医でお約束した方々は、院長・副院長が、土日休日返上し、担当する非常勤当直医の応援医として必ず5~10分の位置に待機しました。小児科医も同様です。
ですが、これでも【はじめに】で述べた超ハイリスク分娩への完全な超緊急体制には程遠いのが正直な事実です。ですが、2019年10月に初診の方も2020年8月には全て分娩終了されました。以上から、全ての患者さんの安全のために、現在、新規のTOLACの取り扱いをクリニックとして休止しています。今後もクリニックの使命として、出来るだけ多くの方への安全な分娩の提供を第一にしていきます。
理事長・院長
小西光長